1998年12月29日 全く土地勘のない鹿児島で現地集合
年末年始ということで、実家の愛知に帰省中。
そこから、12月28日から29日にかけて、青春18きっぷと夜行列車を乗り継ぎ、西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)にたどり着いた。
ここで、既に鹿児島入りをしていた他のサークルメンバーと合流(計4人)。一緒にフェリーで屋久島の宮之浦港に入港し、屋久島へ初上陸を果たした。
屋久島北側に位置する一湊という海岸に、テントを張る。12月なのにポカポカと温かい陽気で、海岸で泳ぐこともできた。
翌12月30日。宮之浦まで戻って、登山する前の買い出し。そして、白谷雲水峡を観光しつつ、そのまま山へと入っていった。
山行記録
- 日程:1998年12月30日(水) ~ 1999年1月2日(土) [3泊4日]
- 天候:晴れ時々ひょう
アクセス
行きは、タクシーで白谷雲水峡まで。
帰りは、ヤクスギランドから尾之間にある民宿まで送迎してもらう。
地図・標高グラフ
⏱タイム | 🏃距離 | ↗登り | ↘下り |
---|---|---|---|
16:32 | 28.9km | 2,159m | 1,756m |
コースタイム
1日目:1998年12月30日
13:00 白谷雲水峡 – 13:30 弥生杉 – 14:10 三本足杉 – 14:54 白谷山荘(1泊)
白谷雲水峡をそのまま奥へと進み、白谷小屋(現:白谷山荘)に泊まる。
2日目:1998年12月31日
06:00 白谷山荘 – 06:36 辻峠 – 07:13 楠川分れ – 09:18 大株歩道入口 – 09:45 ウイルソン株 – 10:34 大王杉 – 11:01 縄文杉 – 11:11 高塚小屋 – 12:18 新高塚小屋(1泊)
白谷小屋から、途中でトロッコ軌道と合流。ウィルソン株、縄文杉を経由して新高塚小屋に泊まる。
3日目:1999年1月1日
05:00 新高塚小屋 – 05:26 第一展望台 – 06:22 平石 – 06:58 焼野三叉路 – 07:30 宮之浦岳 – 07:44 栗生岳 – 08:43 投石岩屋 – 08:04 黒味岳分岐 – 09:15 花之江河 – 10:18 淀川小屋(1泊)
1999年になったばかりに新高塚小屋を出発。初日の出を宮之浦岳山頂で仰ぎ見るためだ。
月明かりでかすかに感じ取れる道標を頼りに、進むべき道を探るしかない。樹氷で感動、ただの満月で感動と、日常シンプルなモノひとつとっても、屋久島の雄大な自然でココロ動かされてしまう。
まだ地平線の下にあるはずの太陽の反射光だろうか、あたりはいくぶん明るくなる。ここには屋久杉の林は存在しない。松や笹といった低木があるだけの、一面氷にとざされた世界。その雪山の中、いつも見ていた太陽、その一瞬の輝きを見るだけ。ただそれだけのために、両手両足に渾身の力を込めながら、一歩ずつ登っていく。
まわりがすっかり明るくなってしまった。しかし、山頂にはたどり着けないし、太陽も宮之浦岳の巨壁が邪魔をして見ることができない。それでも登った、がむしゃらに。
唐突にまばゆい太陽光をもろに体に受け止めた、山頂に着いたのだ。宮之浦岳山頂、太陽は地平線におしりをつけるまで昇っていた。全方向まったく遮るものがない。山から海が360度見えるという事実にとまどいをおぼえつつも、それは次第に達成感と感動に変わっていった。
4日目:1999年1月2日
06:00 淀川小屋 – 06:34 淀川登山口 – 07:09 紀元杉バス停 – 09:02 屋久杉ランド
ヤクスギランドは、山に登ってさんざん屋久杉を見た人は入っちゃいけない。名前のつけられている杉でさえ「こんなのさんざん見たよな。」って空虚な気持ちになる。
と、いうことで30分コースを15分ハイキングしただけのKさんを除く3人であった。
いろいろあって尾之間にある「旅人の宿 枕流庵」というところで休むことに。
タクシーの運転手の会話から多少の疑念が生じたが、スンゴイ坂をつきすすんで行ってみる。新築でログハウスのスンバラシイ所である。訪ねると長身で感じの良さそうな方(枕流さん)がでて、中に案内される。
リビングはたくさんの本が積み上げられてあった(雨の日のためかな?)。太陽の陽がめいっぱいに入ってくるポカポカ感が、これまた気に入った。
荷物をおろしたところで、Yさんに尾之間温泉を案内してもらった。久しぶりにお湯につかる(安い!!200円!!)。
夕食はそれまたにぎやかであった。客は僕たちを含めて10数人。それに枕流さん、Yさん、Nさん(枕流庵に40連泊した後、居候させてもらってるそうだ)たちと、焼酎なのに透き通る味の屋久島の地酒「三岳」を飲みながら、いろいろな話で盛り上がった。人生最高の正月と感じる。
1999年1月3日 モッチョム岳に登る
枕流さんの恐ろしい運転で、千尋(せんぴろ)の滝入り口まで送ってもらう。
全然歩かない距離に、千尋の滝が見える展望台がある。もっと秘境にあると思っていたので、正直がっかりした。でも、でっかい一枚岩からススーっと落ちる水の景色は圧巻。
それから、M先輩と僕はモッチョム岳に挑戦。このモッチョム岳、枕流庵まで行くタクシーの車内から眺めたとき、恐ろしいほどの岩壁があったんだけど、まさにそれに登るのだ。
頂上までは、森の中を黙々と登り続ける。Tシャツ1枚でも汗がしたたる暑さだ。途中で、ぬっと現れる万代杉は、実際触ることのできる杉としては最大の大きさなのではないだろうか?
断崖絶壁のルートを終端まで向かうと大きな岩があり、そこにロープを使ってはい登ることになる。ここの眺めもすごい。尾之間の景色が航空写真のように感じられる。
また今日も、枕流庵にお世話になる。昨日とは違って、客は僕とMB先輩と大阪で高校の先生をしていらっしゃるTさんの3人。昨日のにぎやかさはないけど、Tさんと直に話せるのでよかった。
平内海中温泉に入らなきゃいけない。夜12時過ぎ、レンタサイクルをつかって平内へ向かってシャカシャカこぐのであった。
1999年1月4日 屋久島から鹿児島に戻り、現地解散
平内海中温泉。文字通り海の中にある温泉。月の明かりだけをたよりに、岩の上で全裸になって温泉に入る。なんだかヌルヌルとして海草のにおいがするんだが、星の夜空を見上げながら入る温泉は格別。ちなみに混浴。
宮之浦までYさんに送ってもらう。おみやげをたくさん(三岳4本、タンカンのお菓子2個)買って、フェリーに乗り込み、屋久島とはお別れ。フェリーのデッキで1週間を回想しながら、年賀状代わりの絵はがきを書く。
開聞岳や佐多岬や桜島が次々と迎えてくれる中、鹿児島港に着く。例のごとく現地解散。僕だけ鹿児島を今日中に出るわけで、鹿児島駅まで送りにきてくれた。
この後、熊本で一泊。1月5日に実家へ無事帰宅した。
当時の感想
記憶が曖昧なので、なしとします。
費用
この山行では費用を記録していないので、記録なしとします。
今に省みる
大学生時代は、1999年6月6日に「猪苗代湖レークロードウォーク」に参加したのも思い出深い。福島県にある、全周60km以上になる猪苗代湖を一周歩くというイベント。
早朝から歩きっぱなしの12時間弱で、夕方にゴールまでたどり着くことができた。「もう二度とやりたくないから、一度でやり通す」という精神状態を強烈に植え付けられた。
しばらく毎年開催していたはずだが、今は開催していないみたいですね。