日本百名山全山踏破 6座目 宮之浦岳 | 大学アウトドアサークルの屋久島3泊4日縦走

屋久島白谷雲水峡 日本百名山
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日本百名山全山踏破を志す以前。1座目から9座目までの山行は、記録に残していません。
記憶に頼って書いた記事なので、間違いや曖昧な部分があると思います。予めご了承下さい。

宮之浦岳に向かうまで

1998年の年末年始。実家の愛知に帰省中だったが、大学のアウトドアサークルメンバーとの屋久島合宿が計画されていた。屋久島なんて見知らぬ場所で、しかも宮之浦岳は九州最高峰であり日本百名山。当時は深田久弥の百名山リストなんて知らなかったし、山の名前も知らないまま登山へ行くことになった。

12月28日から29日にかけて、青春18きっぷと夜行列車を駆使した貧乏学生らしい長距離移動。西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)で他のメンバーと合流(計4人)し、フェリーで宮之浦港へ。初めて見る屋久島の姿は、本当に洋上に浮かぶ山という感じで圧倒された。

12月なのに暖かい一湊という海岸でテント泊。海で泳げるほどの暖かさに驚きつつ、屋久島の中心部へ向かう期待感で胸が躍った。翌30日は白谷雲水峡を観光がてら歩き、そのまま山の世界へと足を踏み入れることになる。

実際に登ってみた

日程: 1998年12月30日(水) ~ 1999年1月2日(土) [3泊4日] 天候: 晴れ時々ひょう

アクセス

往路: タクシーで白谷雲水峡まで 

復路: ヤクスギランドから尾之間の民宿まで送迎

地図・標高グラフ

当時のルートをあとから計算したもので、実際の時間、距離等ではありません。

⏱タイム🏃距離↗登り↘下り
16:3228.9km2,159m1,756m

コースタイム

当時のルートをあとから計算したもので、実際の時刻ではありません。

当時書いていたウェブ日記(ブログ)の断片を再構成。かなり痛い文体で恥ずかしい。

1日目:1998年12月30日

13:00 白谷雲水峡 – 13:30 弥生杉 – 14:10 三本足杉 – 14:54 白谷山荘(1泊)

白谷雲水峡の奥深くへ足を踏み入れる。まるで『もののけ姫』の世界に迷い込んだような神秘の森は、一歩進むごとに別世界。白谷小屋(現在の白谷山荘)は想像をはるかに超える立派な造りで、大学生の身には贅沢すぎるほどの快適さに満ちていた。

2日目:1998年12月31日

06:00 白谷山荘 – 06:36 辻峠 – 07:13 楠川分れ – 09:18 大株歩道入口 – 09:45 ウイルソン株 – 10:34 大王杉 – 11:01 縄文杉 – 11:11 高塚小屋 – 12:18 新高塚小屋(1泊)

白谷小屋からトロッコ軌道と合流すると、いよいよ屋久杉本来の姿を見せるエリアへ。ウィルソン株の内部から見上げた空は、完璧なハート型を描き、深く感動を呼んだ。縄文杉を前にしては、モヤをまとったその神秘的な姿に言葉を失う。想像をはるかに超える巨体と存在感が、数千年という時の重みを肌で感じさせる瞬間。新高塚小屋は、翌日早朝の出発に備え、宿泊地として選んだ場所だ。

3日目:1999年1月1日

05:00 新高塚小屋 – 05:26 第一展望台 – 06:22 平石 – 06:58 焼野三叉路 – 07:30 宮之浦岳 – 07:44 栗生岳 – 08:43 投石岩屋 – 08:04 黒味岳分岐 – 09:15 花之江河 – 10:18 淀川小屋(1泊)

1999年、新高塚小屋を出発。宮之浦岳山頂で新年最初の日の出を拝むためだ。

月明かりがかすかに照らす道標だけが頼り。進むべき道を慎重に探るしかない。樹氷の輝きに感動し、満月に心震わせる。屋久島の雄大な自然の中では、日常のシンプルなもの一つ一つが、心を揺さぶる。

まだ地平線の下にあるはずの太陽の反射光だろうか、あたりはいくぶん明るくなる。ここに屋久杉の林はない。松や笹といった低木に覆われた、一面氷の世界だ。その雪山の中、いつも見慣れた太陽の、たった一瞬の輝きを見るためだけに、両手両足に渾身の力を込め、一歩ずつ登っていく。

周りはすっかり明るくなってしまった。しかし、山頂にはたどり着けず、宮之浦岳の巨壁が邪魔で太陽を見ることもできない。それでも、がむしゃらに登り続けた。

唐突に、まばゆい太陽光が全身を突き抜けた。山頂に到達したのだ。宮之浦岳山頂。太陽はすでに地平線から大きく昇っていた。全方向、何一つ遮るものがない。山から海まで360度見渡せるという事実に、最初は戸惑いを覚えた。しかし、それは次第に、計り知れない達成感と深い感動へと変わっていった。

4日目:1999年1月2日

06:00 淀川小屋 – 06:34 淀川登山口 – 07:09 紀元杉バス停 – 09:02 屋久杉ランド

ヤクスギランドは、既に屋久島の奥深い山で数多の巨木を目の当たりにした者にとっては、少々物足りないかもしれない。名が与えられた杉ですら「これはもう見飽きた」という、ある種の虚無感を抱かせることがあるのだ。

かくして、30分コースをわずか15分で切り上げたKさんを除く3人は、次なる場所へと向かった。様々な巡り合わせがあり、尾之間にある「旅人の宿 枕流庵」で休息を取ることになったのである。

タクシー運転手との会話から多少の疑念がよぎったものの、急勾配の坂道を突き進み、ようやく到着。そこは新築のログハウスで、想像以上に素晴らしい場所であった。訪ねると、長身で感じの良い人物(枕流さんとお見受けした)が出迎え、中に招じ入れられた。

リビングには夥しい数の本が積み上げられていた(雨天時に備えてだろうか)。陽光が部屋いっぱいに差し込み、その温かさに心惹かれる。

荷物を降ろした後、Yさんの案内で尾之間温泉へ。久しぶりに湯に浸かる心地よさ(しかも破格の200円!)。

夕食の時間は、また格別に賑やかであった。私たちを含め10数名の宿泊客に加え、枕流さん、Yさん、そしてNさん(枕流庵に40連泊した後、そのまま居候しているとのこと)といった面々が顔を揃える。透明な口当たりが特徴の屋久島の地酒「三岳」を酌み交わしながら、様々な話に花が咲いた。まさに人生最高の正月と感じる一夜であった。

5日目:1999年1月3日 モッチョム岳に登る

枕流さんの豪快な運転で、千尋(せんぴろ)の滝入り口まで送ってもらう。驚くほど歩かずして展望台にたどり着き、その滝を望む。もっと人里離れた秘境にあると想像していたため、正直なところ、一抹の落胆を覚えた。しかし、巨大な一枚岩から滑らかに流れ落ちる水の光景は、やはり圧巻であった。

その後、M先輩と私はモッチョム岳への挑戦を開始する。このモッチョム岳は、枕流庵へ向かうタクシーの車窓から見上げた際、畏怖すら感じるほどの岩壁を擁していたが、まさにその山に登るのである。

頂上までは、森の中を黙々と登り続けた。Tシャツ一枚でも汗が滴り落ちるほどの暑さだ。道中、突如として姿を現す万代杉は、実際に触れることのできる杉としては、おそらく最大の巨木ではないだろうか。

断崖絶壁のルートの終端に達すると、大きな岩が立ちはだかり、そこに張られたロープを使って這い登ることになる。ここからの眺望もまた、目を見張るものがあった。尾之間の景色が、まるで航空写真のように眼下に広がる。

この日もまた、枕流庵の世話になる。昨夜とは異なり、宿泊客は私とMB先輩、そして大阪で高校教師をしているTさんの三人だけだった。昨日の賑やかさはないものの、Tさんと直接言葉を交わせたのは収穫だった。

そして、平内海中温泉に浸かるという、この旅のもう一つの目的を果たすべく、夜12時過ぎ、レンタサイクルで平内へと向かい、ペダルをひたすら漕ぎ続けた。

6日目:1999年1月4日 屋久島から鹿児島に戻り、現地解散

平内海中温泉は、文字通り海中に湧き出る温泉だ。月明かりだけを頼りに、岩の上で全裸になり湯に浸かる。肌に触れる湯はどこかぬるぬるとして海藻の香りが漂うが、満天の星空を見上げながらの入浴は格別であった。ちなみにここは混浴だ。

宮之浦までYさんが送ってくれる。土産を大量に(三岳4本、タンカンのお菓子2個)買い込み、フェリーに乗り込んで屋久島に別れを告げる。フェリーのデッキで、この一週間を回想しながら、年賀状代わりの絵はがきを綴った。

開聞岳や佐多岬、そして桜島が次々と姿を現す中、鹿児島港に到着。いつものように現地解散だ。私だけが鹿児島をその日のうちに出るため、駅まで送りに来てくれた。

この後、熊本で一泊。1月5日、無事実家へ帰宅した。

下山後の感想

屋久島の自然の豊かさと多様性には本当に驚かされた。海岸近くの亜熱帯的な植生から、山頂付近の冷温帯まで、一つの島でこれほど違う環境を体験できるとは思わなかった。特に、平地では12月なのに海で泳げるほど暖かいのに、山頂付近では樹氷が見られるという標高差による気候の変化が印象的。

宮之浦岳山頂での初日の出は、登山の魅力を決定づけた瞬間。あの感動があったからこそ、その後の登山人生につながったと確信している。仲間と一緒に困難を乗り越えて到達した山頂で迎えた新年は、特別な意味を持つ体験となった。

かかった費用と装備

この山行では費用を記録していないので、記録なしとします。

今になって思うこと

2021年に日本百名山を完登した今、振り返れば、宮之浦岳での体験こそが実質的な登山人生の幕開けだったと強く感じる。それまでのハイキングとは一線を画す本格的な山岳体験の原点として、この屋久島縦走は特別な意味を持つ。

屋久島の魅力は、単に高い山が存在するだけでなく、海から山頂まで一続きの壮大な自然環境を体験できる点にある。本州の山々とは全く異なるその景観は、今もなお心に深く刻まれる。特に、亜熱帯の森から高山帯まで、一つの山域でこれほど多様な植生を堪能できる場所は稀有だ。山頂で迎えた初日の出の記憶は、その後の幾度もの挑戦を経てもなお、この宮之浦岳での体験が最も印象深い。洋上の孤島最高峰で仰ぎ見る日の出は、360度遮るもののない大パノラマとともに、生涯忘れ得ぬ景色となった。また、大学のサークル仲間との縦走は、その後の登山仲間との関係性の礎を築いた。困難を分かち合い、息をのむような絶景を共有する登山の醍醐味を、この時存分に味わったのだ。屋久島へのアクセスは容易ではないが、登山初心者にもぜひ勧めたい山域である。ただし、天候の急変が激しく、特に冬季は山頂付近の気象条件が厳しいため、入念な準備と経験豊富な同行者の存在が不可欠となる。

大学生時代、1999年6月6日に参加した「猪苗代湖レークロードウォーク」もまた、忘れがたい思い出だ。福島県に位置する、全周60kmを超える猪苗代湖を一周するイベントである。早朝から歩き続け、約12時間後には夕暮れと共にゴールへとたどり着いた。「もう二度と体験したくないからこそ、一度でやり遂げる」という強烈な精神状態を深く心に刻み付けられた出来事であった。しばらくは毎年開催されていたようだが、残念ながら現在は行われていないようだ。


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