台湾環島サイクリング Day 8:台東→玉里|豪雨の中を北上、池上弁当とプレート境界の街

全美行 池上弁当の中身、排骨と煮卵が詰まった弁当 自転車
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忙しい人向けまとめ

  • 台風から逃げるように台東を出発、豪雨の83.9km:朝6時から土砂降りの中を北上開始。全身びしょ濡れになりながらも、台風に追いつかれる前に玉里まで走り切った
  • 池上弁当の聖地・全美行で念願の一食:お米の名産地・池上郷に到着し、駅前の老舗「全美行」でノスタルジックな池上弁当を堪能
  • プレート境界と玉里神社、地質と歴史が交差する街:ユーラシアプレートとフィリピン海プレートの境界モニュメントを見学し、日本統治時代の玉里神社跡にも足を運んだ

Day 8 実走レポート

環島8日目。台風との追いかけっこが始まる。

丸一日休んだだけで自転車に乗りたい気持ちがうずうずしていた。しかし、窓の外は天気予報通りの雨模様。少しだけモチベーションを削られるが、今日のミッションは明確だ。南から迫る台風に追いつかれないように、ひたすら北へ。追いつかれずにそのまま逃げ切れば僕の勝ち。

この日のルート

土砂降りの出発、ビニール袋は無意味だった(06:14)

Tiin Tinn Innから雨の中を出発
Tiin Tinn Innから雨の中を出発

旧台東駅から内陸に向かう台9線を北上するルートを選んだ。環島のルートでは海岸線を走る道もあるのだが、そちらは街も少ない一本道。台風が来ているこんな日に、人気のない海岸線を走る勇気はない。やはり内陸ルートのほうが安心だろう。

防水の靴じゃないので、ビニール袋に足を突っ込んで簡易防水を試みた。

雨の中、旧台東駅前の道路を走り出す
雨の中、旧台東駅前の道路を走り出す

しかし、そんな小手先の対策はものの数分で無意味になった。ビニール袋の隙間から水が入り込んで、あっという間に靴の中がプールになる。

台湾の雨の日、バイク乗りたちはアノラックのようなレインジャケットを着て、足元はサンダルを履いている。なるほど、サンダルならこんな豪雨でも何も心配することがない。「乗り物を運転するのにサンダルはダメ」という日本の常識が邪魔して、自転車でサンダルを漕ぐという発想自体がなかった。サンダルを持ってこなかったことが悔やまれる。

バケツをひっくり返したような豪雨の中を走行
バケツをひっくり返したような豪雨の中を走行

雨は弱まるどころか、時折バケツをひっくり返したような激しさになる。道路には水たまりが次々と現れ、台東の街を抜けて郊外に出たときには、もう全身がびしょ濡れ。早朝6時にして、濡れることへの抵抗を完全に諦めた。

初鹿のセブンイレブンで朝食(07:15)

初鹿のセブンイレブンに到着
初鹿のセブンイレブンに到着

台東市街から北に約15km、初鹿にあるセブンイレブンに逃げ込んだ。初鹿は初鹿牧場で知られる観光エリアで、台東を代表するリゾート地の一つだ。晴れていれば牧歌的な風景が広がっているはずなのだが、この雨がすべてを台無しにしてくれている。

初鹿のセブンイレブンで朝食のパンとカフェラテ
初鹿のセブンイレブンで朝食のパンとカフェラテ

びしょ濡れの体をイートインコーナーで休めながら、アップルデニッシュとハムチーズパン、そしてカフェラテで朝食。温かいコンビニ店内は冷えた体にとっては安らぎ。

セブン出発後の川のような道路
セブン出発後の川のような道路

セブンイレブンを出発すると、道路は相変わらず川のようだった。登りが終わり、一心不乱にペダルを回す。

ファミマがビンロウ屋?(07:59)

ファミリーマート隣の「全家檳榔」
ファミリーマート隣の「全家檳榔」

鹿野渓の橋を渡った先に、ファミリーマート(全家便利商店)があった。が、その隣に「全家檳榔」と書かれた看板のビンロウ屋がくっついている。ファミリーマートのコーポレートカラーそのままの配色で、どう見ても公式店舗に見える。おそらくコンビニのオーナーが勝手にやっているのだろうが、もはやファミマの新業態にしか見えない。台湾の自由奔放さを感じる。

池上郷の田園風景(09:38)

鹿野をはじめ、いくつかの小さな街を通過していく。臺鐵の線路と近づいたり離れたりを繰り返しながらの北上。途中、工事中の橋で片側車線が封鎖されており、狭い橋の上をヒヤヒヤしながら渡る場面もあった。

雨が止んで池上郷の田んぼが広がる
雨が止んで池上郷の田んぼが広がる

そのうち、いつの間にか雨が止んできた。ふと周りを見ると、右にも左にも見渡す限りの田んぼが広がっている。ここが池上郷だと理解した。

池上郷は台湾有数の米どころで、花東縦谷の肥沃な土壌と中央山脈からの清らかな水で育つ「池上米」は台湾を代表するブランド米だ。水田と山に囲まれたこの風景は、率直に言って日本の田舎そのもの。

途中、観光名所の「金城武の樹」や「伯朗大道(Mr. Brown Avenue)」の案内板が見えた。金城武の樹は、2013年のエバー航空のCMで金城武が自転車で走ったことで有名になった一本の木。伯朗大道はその周辺に延びる、電柱のない一本道だ。だが、こんな天気の日にわざわざ寄る気にはなれない。

そのまま池上の市街地に入って、池上駅を目指した。この街には、この旅でずっと楽しみにしていたものがある。

池上弁当の聖地「全美行」(10:17)

池上駅
池上駅
池上駅前の広場
池上駅前の広場
全美行 池上鐡路月台便當の外観
全美行 池上鐡路月台便當の外観

池上駅のすぐそばに、池上弁当で最も有名な「全美行 池上鐡路月台便當」がある。

池上弁当は、日本統治時代の1940年代に池上駅のホームで売られ始めた鉄道弁当がルーツとされている。当時は笹の葉で包んだおにぎりが主流だったが、次第に木製の弁当箱に入った形式になり、池上米の美味しさと相まって台湾全土に名が知れ渡った。今では池上駅の周辺だけで10軒以上の弁当屋がひしめく、まさに駅弁の聖地だ。

全美行の店内
全美行の店内
全美行の店内、弁当蓋メッセージが壁一面に
全美行の店内、弁当蓋メッセージが壁一面に

店内に入ると、弁当の蓋に書かれたメッセージが壁一面にずらっと貼られていた。食べ終わった人たちがここに想いを残していくのだろう。

一番スタンダードな弁当を注文し、店内の奥で受け取る。

全美行 池上弁当のレトロなパッケージ
全美行 池上弁当のレトロなパッケージ
全美行 池上弁当の中身、排骨と煮卵が詰まった弁当
全美行 池上弁当の中身、排骨と煮卵が詰まった弁当

受け取った弁当は、薄い木の板(経木)でできた折箱に入っている。中にはぎっしりと詰め込まれた具材。薄切りの豚肉が2〜3枚載り、その周りを煮卵、豆干、ピクルス、高菜炒め、そしてカツオのふりかけ(柴魚酥)が囲む。見た目は、食べ盛りの高校生が好きなものを全部詰め込んだような茶色い世界。

豚肉は噛むほどに旨味が溢れ、高菜の塩気と漬物の酸味が箸を進めてくれる。柴魚酥のほんのりした甘みがご飯と絡んで、これがまた美味しい。何より、その下に敷かれた池上米のポテンシャルに驚かされる。粒がしっかり立っていて、経木が余分な水分を吸ってくれるおかげで全くべちゃっとしない。日本の駅弁と比べると素朴な見た目だが、味は負けていない。これで100NTD(約500円)は、控えめに言って最高だ。

この先、通行止めの不安(12:22)

10時の台風の進路
10時の台風の進路

お弁当ですっかり満足して、自転車に乗って次の街へ。この台湾東南部の手つかずの自然が残された風景や雰囲気をゆっくり楽しみたかったのだが、台風が追ってきている以上、先を急ぐしかない。またいつか巡りたいという心残りがあってもいいだろう。

通行止めを知らせる電光掲示板
通行止めを知らせる電光掲示板

雨が降ったり止んだりを繰り返す中、脇目も振らず北へ走っていると、この先の通行止めを知らせる電光掲示板が目に入った。そういえば周囲の車も減ってきている。この先の道が通じているかどうかで、一気に不安が押し寄せてくる。

台東と花蓮のおおよそ中間地点にある街、玉里の手前までやってきた。朝からたっぷり走って疲れているし、雨にも濡れ続けているし、今日の宿はここにしよう。

セブンイレブンのスイートポテト牛乳とハチミツパンケーキ
セブンイレブンのスイートポテト牛乳とハチミツパンケーキ

途中のセブンイレブンで昼食休憩がてら情報収集。ネットで調べると、台9線(花蓮県)にある馬太鞍溪便道が閉鎖されて迂回路が設けられているらしい。

台9線の迂回路案内図
台9線の迂回路案内図

どうやらこの通行止めはかなり先の、花蓮の手前のようだ。迂回路もあるみたいだが、それは今夜にでもゆっくり検討しよう。

プレート境界の上に立つ(14:06)

セブンイレブンを出発して、近くにフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界を示すモニュメントがあるという情報を見つけたので寄ってみることにした。

玉里大橋の自転車道を走る
玉里大橋の自転車道を走る

このモニュメントは秀姑巒溪に架かる玉里大橋の自転車道の中間地点にある。そもそもこんな立派な自転車道があったのに気づいてなかった、普通に車道を走ってきた自分はなんだったのか。

プレート境界の説明板
プレート境界の説明板
玉里大橋のユーラシアプレートとフィリピン海プレート境界モニュメント
玉里大橋のユーラシアプレートとフィリピン海プレート境界モニュメント

台湾はユーラシアプレートとフィリピン海プレートがぶつかり合う境界上にあり、その衝突によって中央山脈が隆起している。花東縦谷(花蓮から台東にかけての谷間)は、まさにこの2つのプレートの接合部に沿って南北に延びている。ここ玉里は、その境界線が地表に現れている数少ない場所の一つだ。

長野にある大鹿村の中央構造線博物館に行ったことがあるが、あそこも断層で土砂崩れやトンネル工事に苦労している。しかし中央構造線はプレート境界ではない。こちらは正真正銘の地球規模のプレート境界。そりゃ大きい地震が起きるわけだ。

玉里神社:日本統治時代の痕跡(14:27)

自転車道を渡り切ると玉里の街並みが見えてきた。雨も止んで日差しが出てきたし、まだ午後の早い時間で余裕もある。何か観光スポットはないかと調べると、「玉里神社」の文字が目に留まった。この街には日本統治時代の神社が残っているらしい。

玉里神社の鳥居と参道入口
玉里神社の鳥居と参道入口

少し迷いながらも、玉里神社の参道前に到着。ちゃんと鳥居が立っているが、周囲は民家に囲まれていて生活感がある。神社と日常が共存している不思議な空間。

石段を登っていくと、途中に案内板が用意されていた。日本が統治を始めたころの事件についても記されている。悲しい過去があるのに、こうして神社として残してもらっていることに感謝の気持ちが湧く。

玉里神社での結婚の様子
玉里神社での結婚の様子
玉里神社跡の本殿跡
玉里神社跡の本殿跡

登り切ると高台になっていて、玉里の街並みが一望できた。

玉里神社の高台から玉里の街を一望
玉里神社の高台から玉里の街を一望

玉里駅とタピオカミルクティー(14:47)

玉里神社を後にして、玉里駅に行ってみた。

玉里駅の改札
玉里駅の改札
臺鐵の運行状況、台風で軒並み運休
臺鐵の運行状況、台風で軒並み運休

駅構内に掲示された張り紙を見ると、台風の影響で臺鐵は運休しているようだった。

玉里鎮のマスコットキャラクター「玉里熊讚」
玉里鎮のマスコットキャラクター「玉里熊讚」

駅前にいるクマのキャラクター。正式名称は「玉里熊讚(ユーリーションザン)」というらしい。玉里(Yuli)のクマなので、ユリ熊嵐ということにしておこう。台湾はどこに行ってもクマのキャラクターが多い気がするのだが、なぜだろう。

セブンイレブンのCITY CAFEタピオカミルクティー
セブンイレブンのCITY CAFEタピオカミルクティー

駅前のセブンイレブンでCITY CAFEのタピオカミルクティーを頼んでみた。店員さんがレトルトパックからタピオカを出して、氷を入れて、ほとんど手作業でビルドしている。これはコンビニ店員に負担をかけてしまうな、と申し訳ない気持ちになる。台湾のコンビニ店員も、いろいろやることが多くて大変そうだ。

レトロな玉里の街並みと910 Hostel(15:32)

玉里のレトロなレンガ造りの建物
玉里のレトロなレンガ造りの建物

今日の宿に向かう途中、玉里の街を散策した。老街が薄く広がったような街並みで、時代に取り残されたようなレトロなレンガ造りの建物が残っている。戦前の日本映画に出てきそうな佇まいで、玉里神社といい、この街には日本統治時代の空気がまだ漂っている。

910 Hostelの外観
910 Hostelの外観

今日の宿は直前に予約した「910 Hostel」。城のような佇まいの、なかなか大きなホステルだ。到着すると、びしょ濡れの僕を見たオーナーが、大変だったねというような顔で、すぐにタオルや靴を乾かすためのファンを用意してくれた。このおもてなしがありがたい。

910 Hostelの共同スペース
910 Hostelの共同スペース

共同キッチンやスペースが屋外にあって開放的。フルーツやお菓子も自由に食べていいらしい。とりあえず濡れた体をシャワーで温めて、2日分の洗濯物を一気に処理した。ドミトリーの部屋も広くて快適。

910 Hostelのドミトリー
910 Hostelのドミトリー

鴨肉麺の夕食(17:29)

すっかり夜になった。今まで通過してきた街と違って、玉里は路地に入ると真っ暗になる。だが、お店が並ぶエリアに出ると光り輝いていて華やかだ。

鴨米鴨片飯の外観
鴨米鴨片飯の外観
鴨米鴨片飯の店内
鴨米鴨片飯の店内

その中でも、鴨料理の「鴨米鴨片飯」というお店に惹かれて入店。若い人たちが店前のキッチンで手際よく料理を作っていて、活気がある。

當歸鴨肉麺と空芯菜の青菜
當歸鴨肉麺と空芯菜の青菜

當歸鴨肉麺を注文した。當歸(トウキ)は日本でもセリ科の薬草として知られる漢方食材で、体を温める効果があるとされている。

スープを一口すすると、當歸のほんのり甘い漢方の香りが鼻に抜ける。薬膳っぽいのかと思いきや、クセは穏やかで食べやすい。鴨肉は柔らかく、脂身が少なくてさっぱりしている。豪雨の中を走ってきた冷え切った体に、この温かい漢方スープが沁みわたる。一日の疲れが溶けていくようだった。

空芯菜のシンプルな炒め物も、シャキシャキした食感とニンニクの香りが効いていて美味しい。ごちそうさまでした。

全聯で明日の朝ごはん調達(18:02)

全聯福利中心(PX Mart)の外観
全聯福利中心(PX Mart)の外観

食後は全聯福利中心(PX Mart)へ。台湾でよく見かけるメジャーなスーパーマーケットで、コンビニよりもリーズナブルなのがありがたい。

黑松沙士レッドグレープフルーツ味とパン
黑松沙士レッドグレープフルーツ味とパン

明日の朝に食べるパンと「黑松沙士 清新紅柚風味」を購入。黑松沙士のレッドグレープフルーツ味はハズレかな。

夜になるとまた雨が降ってきた。台風はどうやら屏東に上陸して、あの峠越えをしたルートを通っているようだ。本当に間一髪。

明日からは台風の影響もなくなって晴れ予報。ここ3日ほどずっと悪天候で鬱積した気持ちが溜まっていたので、ようやく気持ちの良いサイクリングができそうだ。

コラム:台湾の日本統治時代

玉里神社の石段を登りながら、ふと考えた。なぜ台湾には、80年以上前に建てられた日本の神社がまだ残っているのだろう。植民地支配の象徴を、なぜ壊さなかったのか。台湾の歴史を少しだけ紐解いてみると、その答えが見えてくる。

台湾は「統治される島」だった

台湾の歴史は、外来政権による統治の連続だ。

時代統治者期間主な出来事
大航海時代オランダ(南部)・スペイン(北部)1624〜1662年安平古堡の建設、原住民へのキリスト教布教
鄭氏政権鄭成功とその子孫1662〜1683年オランダを駆逐、漢民族の本格移住開始
清朝清(中国)1683〜1895年約200年間統治するも「化外の地」扱い、開発は限定的
日本統治時代日本1895〜1945年インフラ整備、近代化、皇民化政策
中華民国国民党(蒋介石)1945年〜二二八事件、戒厳令(白色テロ)、民主化

オランダ、鄭氏、清朝、日本、そして中華民国。400年の間に5つの政権が入れ替わり、台湾の人々はその都度、新しい支配者のルールに適応してきた。この複雑な歴史が、台湾という場所の奥深さを作っている。

日本統治時代の50年間

1895年、日清戦争の勝利により台湾は日本に割譲された。以降50年間にわたる日本統治は、台湾の近代化に大きな影響を与えた。

インフラ整備

日本は台湾に鉄道網を敷設し、道路を整備し、ダムや灌漑施設を建設した。今も走っている臺鐵(台湾鉄路)の西部幹線は、日本統治時代に完成したものがベースとなっている。今日走ってきた花東線(花蓮〜台東間の鉄道)も1926年に全通した路線で、池上駅をはじめとする沿線の駅はこの時代に生まれた。

農業の発展

台湾の農業を飛躍的に発展させたのも日本だった。特に嘉南大圳(かなんたいしゅう)と呼ばれる大規模な灌漑システムは、技術者・八田與一(Day 4で記念館を訪問)の設計によるもので、台湾西部の嘉南平原を一大穀倉地帯に変えた。八田與一は今でも台湾で最も尊敬される日本人の一人だ。

嘉南平原を潤した八田與一の功績と同様に、ここ池上でも日本統治時代から戦後にかけて大規模な水利開発が進められた。今日走った池上郷の見渡す限りの田園風景。あの「日本の田舎そのもの」に見えた水田風景は、偶然の一致ではなく、日台が積み重ねた農業近代化の歴史の延長線上にあるのだ。

教育と近代化

日本語教育が推進され、学校制度が整えられた。戦前に教育を受けた世代の中には、今でも流暢な日本語を話すお年寄りがいるという。

光と影 — 霧社事件

しかし、統治は一方的な「善意」ではなかった。

1930年に起きた霧社事件は、日本統治時代の最も悲惨な出来事の一つ。台湾中部の山岳地帯に住むセデック族が、日本の圧政に対して蜂起した。運動会の最中に日本人を襲撃し、134人が殺害された。日本側はこれに対して軍隊を投入し鎮圧。反乱に参加したセデック族の多くが命を落とした。

この事件の背景には、原住民に対する差別的な扱い、強制労働、文化の抑圧があった。近代化の恩恵を受けたのは主に平地の漢民族であり、山岳地帯の原住民にとっては、日本の統治は搾取そのものだった面がある。

玉里神社の参道に設置された案内板にも、日本統治初期に起きた原住民との衝突について記されていた。この石段を登りながら、複雑な気持ちになったのは正直なところだ。

それでも残る日本の痕跡

台湾には日本統治時代の建造物が数多く残っている。

神社跡

台湾には200以上の神社が建てられたが、終戦後の国民党政権下で多くが撤去された。それでも玉里神社のように、地域の人々の手で保存されている場所がある。鳥居や灯籠が残り、参道が整備されているのを見ると、壊すのではなく歴史として残そうという台湾の姿勢が伝わってくる。

駅舎と鉄道施設

台湾各地には、日本統治時代に建てられた木造駅舎が保存されている。例えば、完全な形で残る新竹の香山駅や、檜造りの風情が美しい台南の保安駅、そして映画のワンシーンのような台中の追分駅など、それらは今も現役の駅として、あるいは歴史の語り部として愛されている。

建築と街並み

玉里の街を歩いて目についたレトロなレンガ造りの建物も、日本統治時代かそれに近い時代のものだろう。台湾各地の「老街」には、バロック様式のファサードを持つ日本統治時代の商店建築が並んでいて、観光資源として活用されている。大渓老街や三峡老街(Day 1で訪れた)もそうだった。

「親日」の裏側にあるもの

台湾は「親日的な国」としてよく語られる。確かに、街中では日本語の看板をよく見かけるし、日本の文化や食べ物は広く浸透している。しかし、それを単純に「台湾は日本が好き」と受け取るのは浅い理解かもしれない。

台湾の人々にとって、日本統治時代は50年間にわたる日常だった。鉄道に乗り、日本語で教育を受け、日本式の建物で暮らした。それは好き嫌いの問題ではなく、生活の一部だった。

そして終戦後、台湾に渡ってきた国民党政権は二二八事件(1947年)や白色テロと呼ばれる長期の戒厳令で台湾の人々を弾圧した。「日本の方がまだましだった」という記憶が、結果的に日本に対する好意的な感情を強めた面もあるのだろう。

歴史は複雑で、一面的な見方では語れない。ただ、玉里神社の石段を登り、池上の田園を走り、レンガ造りの建物を眺めながら、この島に刻まれた50年間の痕跡を自分の目で確かめられたことは、この旅の大きな収穫だった。

Day 8 まとめ

走行データ

この日の走行距離は83.9km(計画では70km)。

移動時間は5時間32分、経過時間は8時間47分。

獲得標高は601.8m、平均速度は15.1km/h。

詳細なデータはStravaで確認できる。

費用まとめ(Day 8)

この日の出費は合計で1,192NTD(約5,960円)。

内訳は以下の通り:

  • コンビニ(朝食・昼食・タピオカなど):270NTD(約1,350円)
  • 池上弁当(全美行):100NTD(約500円)
  • 夕食(鴨米鴨片飯:當歸鴨肉麺+青菜):150NTD(約750円)
  • スーパー(全聯福利中心:パン・飲み物):112NTD(約560円)
  • 宿泊(910 Hostel ドミトリー):560NTD(約2,800円)

合計:約5,960円

1NTD(ニュー台湾ドル)は約5円で計算している。

8日目の感想と教訓

良かった点

  • 台風に追いつかれる前に玉里まで到達できた
  • 念願の池上弁当を堪能。池上米の美味しさは本物
  • 玉里のプレート境界モニュメントと玉里神社、予想外の観光スポットに巡り合えた
  • 910 Hostelのオーナーの心遣いに救われた

反省点

  • ビニール袋の靴カバーは無意味。雨の日はサンダルが正解だと学んだ
  • 玉里付近の自転車道を知らずに車道を走ってしまった。事前の下調べが足りない
  • 池上郷の金城武の樹や伯朗大道をスキップしたのは、天気のせいとはいえ少し心残り

体調面

休養日の効果は絶大で、朝から体が軽かった。ただし83.9kmを豪雨の中で走ったので、体力よりも精神的な疲労が大きい。全身がびしょ濡れになるストレスは想像以上だった。宿に着いてシャワーを浴びた瞬間の安堵感が忘れられない。

次回予告

Day 9は玉里を出発し、さらに北上を続ける。

台風一過の晴天が待っているはずだ。ただし、この先には馬太鞍渓橋の崩壊による通行止めが待ち構えている。迂回路は峠越えになるらしいが、果たして無事に通過できるのか。3日ぶりの青空の下、花蓮を目指す後半戦が本格的に始まる。

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